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哲学
1877年の東京大学設立以来、一貫した歴史をもつ哲学科は、1910年、「哲学」、「史学」、「文学」の三学科中「哲学科」に属する「哲学」専修学科として今日にいたる基礎を固めた。草創期には井上哲次郎、ケーベルなどの教授陣を擁し、西田幾多郎、田辺元、九鬼周造らを輩出した。戦後も多くの哲学者、研究者を産み出し、今日に至るまで我が国の哲学・思想研究の世界に大きな一角を占め続けている。1963年の類制度創設以降は、第一類(文化学)中の、そして1995年からは、思想文化学科中の「哲学専修課程」として、文学部の研究・教育組織の一翼を担っている。また、哲学専修課程は、大学院の組織としては、1953年、人文科学研究科のなかの哲学専攻課程として発足し、1995年からは、人文社会系研究科における基礎文化研究専攻内の思想文化コースに属する哲学専門分野となり、西洋哲学の歴史的研究に基づく哲学の体系的研究をおこなっている。2011年10月にドイツ人の専任講師を迎え、2013年4月現在、教授2名、准教授1名、専任講師1名、助教1名、教務補佐員1名の陣容であり、哲学の幅広い領域をカヴァーするスタッフ構成となっている。なお、3名前後の非常勤講師をも迎え、一方では長い歴史をもつ西洋哲学史の全体にわたり、また他方では哲学の諸分野にほぼ均等な比重をもたせた形で、授業を行っている。
哲学専修課程のカリキュラムは、講義と演習に大別され、講義は、哲学概論、西洋哲学史概説第1部、同第2部、哲学特殊講義からなっている。
哲学概論は、西洋哲学史上繰り返し論じられてきた重要テーマを取り上げつつ、哲学的営為の実際を展開してみせる。
西洋哲学史概説第1部は、古代中世哲学史の概説であり、同第2部は、近世現代哲学史の概説であるが、本専修課程では、古代から現代までの概説的な哲学史の知識は、学生諸君が各人でしかるべき書物等をとおして、自発的に我がものとすることを期待している。したがって、実際の講義は多くの場合、そうした概説では見ることのできない、細かくはあるが、しかし生き生きとした哲学の通時的営みが、論じられる。
哲学特殊講義は、各担当教員が、自らの目下の研究テーマをめぐって、自らの哲学的営為の現場を繙いて見せるものである。
哲学演習は、古代から現代にいたる哲学史上の代表的諸著作を、原典で講読する。
次に、各教員の紹介をしよう。
一ノ瀬教授は、因果性、人格概念、という二つの問題について、英語圏の哲学をおもな手掛かりとしながら、理論的および実践的両視点から研究を進めている。因果の問題に沿っては、帰納、確率、曖昧性、意思決定、自由意志、などのトピックを扱う。また、人格の問題に絡んで、人格同一性、所有権、責任、殺人、刑罰・死刑といった話題を論じている。全体として、知識とは人格が所有するものであり、しかもそうした所有の過程は即興的なものである、という知識観を展開しようとしており、その流れで「音楽化された認識論」というアイディアも試みている。また、3.11以後の放射能問題にも関心を向け、放射線被曝について哲学的視点から論じている。講義や演習では、ロック、ヒュームなどの古典経験論哲学者、ダメット、ウィリアムソンなどの現代分析哲学者、などを素材として取り上げている。『人格知識論の生成』『原因と結果の迷宮』『原因と理由の迷宮』『功利主義と分析哲学』『死の所有』『確率と曖昧性の哲学』『放射能問題に立ち向かう哲学』などの著書を発表してきた。
榊原教授は、ドイツ哲学を専門としている。なかでもフッサール、ディルタイ、ハイデガー等によって展開されたドイツ現代の現象学・解釈学に関する歴史的・体系的研究が主たる領域である。2009年、それまでのフッサール研究をまとめた『フッサール現象学の生成-方法の成立と展開』を公にした。また、ここ10年余りにわたり、テクスト研究と並行して、具体的な「事象」に即して現象学的哲学を体系化する試みの一つとして、「看護」や「ケア」の営みという事象に現象学的アプローチを行い、医療現場とも連携しつつ、看護論や広い意味でのケア学の哲学的基礎づけを目指す「ケアの現象学」の研究もおこなっている。講義や演習では、カント、フッサール、ハイデガーなどを中心に、広く西欧近現代哲学を素材として取り上げている。
鈴木准教授は、西欧近世哲学ならびに現代フランス哲学を研究のフィールドとしている。様々な意匠をとって現れる根拠への拘束から離脱し、存在の多様な声に開かれた<内在性の哲学>を独自に体系化する作業を進めつつある。具体的には、(1)ドゥンス・スコトゥスからスピノザに至る中世後期から近世にかけての哲学史を素材とする、超越なき<内在性の哲学>を可能にする<存在の一義性>の系譜学の跡付け、(2)現代における<内在性の哲学>の範型としてのドゥルーズ哲学の解凍とその展開、(3)<内在性の哲学>を開かれた場において提示することを目指して、分析的形而上学の議論や日本(語)の哲学との突き合わせ、(4)以上の作業のリズム論としての展開、を進めている。講義では、研究の成果を主たる素材としながら新たな哲学史像を提示すること、演習では、デカルトやライプニッツの古典的テクストの精読を通して哲学のテクストを読解する技法を教授すること、をそれぞれ目指している。
ディーツ専任講師は、思考と言語の哲学、論理、認識論(特に形式的認識論)が専門領域であり、曖昧性、類型化における段階性、条件文、認識の不一致、真理の概念に関わってきた。現在の主要研究テーマは思考と言語における曖昧性の基礎づけであり、この問題を認識論的視点から考察しようとしている。2013年度の講義では現代形而上学と現代認識論を、演習では分析哲学基本文献と現代言語哲学の諸文献を扱った。また、オックスフォード大学出版のCuts and Clouds:
Vagueness, Its Nature and Its Logic の編者を務めるなど、哲学研究の最先端に位置する研究者のひとりである。
文学部を卒業するために必要な単位は、84単位だが、哲学専修課程では、そのうちの44単位を必修科目としている。さきに挙げた、哲学概論、西洋哲学史第1部、同第2部の各4単位と、哲学特殊講義から三科目12単位、哲学演習から二科目8単位、それに卒業論文12単位である。哲学演習は、二年にわたって最低一科目ずつとるように定めているが、それはここにおいて、欠かすことのできない先哲との対話がテクストをとおして行われるからである。
こうした哲学演習に積極的に参加しうるために、英語、ドイツ語、フランス語、それに、ギリシア語、ラテン語を学習していることが望まれる。また本専修課程進学志望者は、さらに前期課程において人文科学基礎「人間」を、また第3・4学期には本専修課程および隣接諸課程の専門科目を受講しておくことが望ましい。
なお、必修科目のうち、卒業論文は、とりわけ重要なものである。それは自らが哲学を学ぶことにおいて、徹底的に遂行した思索の証となるものであるからである。その内容は、西洋哲学の歴史的研究、体系的研究のいずれに関するものでもよく、まず学生が自分で論題を設定し、次に教員の承認を得て、論文を作成する。分量は400字詰め原稿用紙100枚以内である。毎年、卒業年度の7月はじめの頃に卒論ガイダンスの機会を設け、教員が適切な助言・指導等を行っている。
終了後の進路:哲学専門分野はもちろん、他領域、他研究科を含めた大学院への進学、全く新しい分野への学士入学など、学業を続ける学生と、就職する卒業生に分かれ、後者が幾分、多い。就職先は、報道、出版、広告、商社、銀行、メーカー、官公庁などの他に、最近ではシステム・エンジニアなど、コンピューター関連会社も多い。
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