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東洋史学
東洋史学(アジア史)のおもしろさ、それはアジア社会がもつヴァイタリティー、それと表裏の急激な社会変化、そして今後の世界を変えていく可能性にある。
アジアの魅力は、アジア社会に一歩でも足を踏み込んだ経験をもつ者であれば直ぐに感ずるであろう。喧噪と雑然さと色彩と匂いのあふれる街路、水と光と草原と雪と陽射しの極限から極限までのスペクトル、伝統と現代との整理のつかない混雑・・・。そのいずれもが、人をアジア社会に引き寄せ、好奇心を煽り、不安感を増幅させ、そして知的冒険心をかき立てる。
東洋史学が対象とするこのようなアジア社会は、落ち着き安定したヨーロッパ社会とは異質なものである。したがって、その社会へのアプローチも、定まったものがあるわけではない。後に個別に紹介するように、水島司教授はインドから東南アジアにかけて、のべ10数年以上にわたって農村、都市調査を行い、歴史文献と現地調査を組み合わせた研究を行ってきている。島田竜登准教授は陸地だけでは飽き足らず、船に乗って、海域アジア社会の歴史調査を、多言語の史料・地図とつきあわせながら実施している。吉澤誠一郎准教授は、都市社会から中国全体を見渡し、佐川英治准教授は黄土高原を中心に中国各地で調査を行っている。これらのフィールドに、スタッフはしばしば足を運び、場合によっては学生を引き連れて行く。まずアジア社会の中に入り、体験を積み、アジアを見る目を養っていくという方法の重要性を、東洋史学科が認識しているからである。
もちろん、東京大学東洋史学科が研究対象としているのは、激しい変化の中にあるアジアの現代だけではない。そこには、「史記の世界」から「コーランの世界」にいたるまでの多様な文明世界の、古代から現代にいたる歴史が含まれている。東アジア文明の担い手となった中国・朝鮮、いくつもの騎馬民族国家が興亡した中央アジア、仏教・ヒンドゥー・イスラーム文化が入り組む南アジア・東南アジア、そして古代オリエント文明とイスラーム文明が交錯する西アジア、さらに地中海・イスラーム文明と緊密な交渉を保ってきた北アフリカ・イベリア半島・・・。これらの地域は、約5,000年にわたる長い歴史を持ち、膨大な人口と広大な領域を有している。この地域に生きる人々の生活と文化を知ることなしには、世界を理解することはできないはずである。

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中央アジア 参詣者でにぎわう聖者廟(ウズベキスタン、タシュケント郊外のゼンギー・アタ廟、ティムール朝期の建造)
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近代以降の歴史学は、「西洋」=ヨーロッパを中心にして歴史の理論を組みたて、世界史の展開を理解しようとしてきた。実際、上述の多様な地域を「オリエント」ないし「東方」として一括しようとする発想自体、ヨーロッパ社会の自己認識と表裏をなす西洋起源の考え方である。その意味では、「東洋史学」という枠組みは自明のものではない。「ヨーロッパの眼」でアジアの歴史を見ることは、単にヨーロッパのアジア観を歪めてきただけではなく、アジアのアジア観を歪めてきた。そうした見方に、大きな疑問を突きつけてきているのが近年非常に盛んになってきたグローバル・ヒストリーの潮流であるが,同じく東洋史学科もそうした見方に安住していない。
では、どのような方法と態度がアジア研究、とりわけ東洋史学研究に必要なのだろうか。そこには、安心して頼れるような確立した「東洋史学研究の方法」があるわけではない。先に紹介したように、フィールドワークをはじめ、それぞれの研究者がそれぞれの方法を模索しており、そこに東洋史の面白さがあるともいえよう。

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ミャンマー パガン遺跡
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ただし、東京大学東洋史学には、長年の伝統が築きあげてきた幾つかの重要な特色がある。第一は、方法的・理論的関心の強さである。本研究室の歴代の教員は、さまざまな隣接学問分野の成果を積極的に吸収し、自らの方法視角を明示し、相互の批判をも含めて、学界の論争のなかで重要な一翼を担ってきた。したがって、本学科に進学する学生にも、方法や理論への強い関心をもつことが要求されるであろう。第二は、「史料を正確に、厳密に読む」という実証的研究態度である。先人の研究に安易によりかからず、史料や対象と直接に接しつつ研究方法の妥当性を常に吟味してゆくという態度が不可欠だと考えている。したがって、史料を正確に読むために、中国語、朝鮮語、ベトナム語やインドネシア語などの東南アジア諸語、ヒンディー語、タミル語などの南アジア諸語、アラビア語やペルシア語、トルコ語などの西アジア、中央アジア諸語などを習得することが推奨される。ヨーロッパ人の旅行記・伝記・報告書などや既存の研究を批判的に利用するために、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語などの読解力も必要であろう。もちろん、文学部にはこれらの言語を習得する授業が設けられている。したがって、各人の興味にしたがって必要な言語を学ぶことができる。第三は、研究対象にタブーを設けていないという点である。歴史学にはふさわしくないと勝手に思いこまれてきた例えば絵画、服飾、音楽、食のようなテーマであっても、それを対象として選ぶことを妨げることはなく、むしろ新しいテーマに積極的に挑む学生をおおいに歓迎する。もちろん、「人と物と思想の東西交流」やアフリカやオセアニアの歴史も東洋史の研究対象となる。また、現スタッフでは対応できない場合には、そのテーマにふさわしい研究者を紹介できる力量とつながりを東洋史学科は有している。

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カンボジア アンコール・トム
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東洋史学科では、卒業論文の作成が重視される。それは、学生生活に全力を傾けて一つのテーマを追究した知的経験が、その後の人生に必要であり、また役立つと信ずるからである。東洋史学科の教育の目的は、必ずしも、東洋史に関する広い知識を集積することのみにあるのではない。むしろ、歴史的情報にじかに接して自分のものの見方を自力で練り上げてゆく、そうした知的態度、知的誠実さを身につけることが重要であると考える。他人から与えられた器をそのまま使うのでなく、自分で鉱石を掘り出し、自分の工夫した方法で精錬し、鋳造していこう。その結果できた器が、たとえ先人のものと似たりよったりであっても、あるいは先人のそれより不格好であっても、その体験はきっと貴重な感動を与えてくれるにちがいないし、東洋史学科は、そうした態度を高く評価する。
東洋史学科の卒業論文審査は厳しいという風評を耳にする。しかし、卒業論文の評価の基準は単純である。自分で生の史料、情報に接し、既存の研究を批判的に検討することによって自分の頭で考え、そこから得られた観察を明晰な言葉で論理的にまとめているかどうか、という点が問われるだけである。真摯に取り組めば、必ず評価されるし、評価されてきた。また、進学時には進学生全員と先輩、教員が参加する研修旅行があり、卒論相談会も随時開催され、そうした学生の悩みに応える機会が設定されている。さらに、東洋史学科のホームページでは、論文作成のためのマニュアルも提供している(http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~toyoshi/support.html)。
東洋史学科の卒業生は、毎年三分の一前後が大学院へ進学するが、他の多くは企業に就職している。就職先は多様で、大手の製造業、銀行などのほか、出版・マスコミ関係もほぼ毎年就職者がいる。公務員を目指す者も少なくない。
大学院では、「アジア史」専門分野として、アジアからさらには世界全体を見渡しうるような専門家の育成を目指す教育が行われている。

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パキスタン カイバル峠
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次に、各教員について紹介しておこう。スタッフは、中国史2名、南アジア史1名、東南アジア史1名であるが、他に、韓国朝鮮文化研究室から1名が学部授業を兼担し、加えて毎年、学内外から数名の講師を招き、アジア全域をカヴァーしている。いずれも、それぞれ独自の領域で、既存の枠組にとらわれない歴史像を描き出そうとしてきた専門家ばかりである。東洋史学科進学を志す学生諸君には、このような教員の研究の積み重ねと現在の興味とがにじみ出た講義や演習から何かをつかみ取ってもらいたい。
各教員の研究の内容を西から紹介する。

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インド 村での調査
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水島司教授は、南アジア近現代史を担当する。18世紀から現在に至る南インド社会を対象にして、18世紀以来の村落文書、衛星情報等を利用して、歴史地理情報システム(GIS)を駆使した研究を進めている。また、マレーシアをはじめ、アジア各地で十数年にわたる現地調査を実施してきており、村落開発、移民、エスニシティー等の問題について多くの論考を発表している。また、近年は、アジア史を世界史的連関の中で描くグローバル・ヒストリー研究に力を注いでいる。『前近代南インドの社会構造と社会空間』(東京大学出版会、2008年)、『世界システムとネットワーク』(現代南アジア6、東京大学出版会、2003年)、『グローバル・ヒストリーの挑戦』(山川出版社、2008年)、『地域研究のためのGIS』(古今書院、2009年)、『グローバル・ヒストリー入門』(山川出版社、2010年)、『21世紀への挑戦 5.地域・生活・国家』(日本経済評論社、2012年)や、"From Mirasidar to Pattadar:
South India in the Late Nineteenth Century", Indian Economic and
Social History Review, 39: 2&3, 2002をはじめとする英語論文がある。
島田竜登准教授は東南アジア史を担当している。専門は東南アジア貿易史、都市史、東インド会社史であり、そのはかに、アジア経済史、南・東南アジアのイスラーム史、グローバル・ヒストリーなどにも関心がある。近年では、バダヴィア(ジャカルタ)都市史や17~18世紀のタイ国際関係史などを研究している。ライデン大学に提出した博士論文をもとに印刷した Ryuto Shimada, The
Intra-Asian Trade in Japanese Copper by the Dutch East India Company during
the Eighteenth Century (Leiden and Boston; Brill Academic Publishers,
2006) をはじめ、数多くの英語・日本語による著作がある。多数の海外研究者と交流があり、研究活動をグローバルかつローカルな視点から共同で進めている。なお、研究室では、定期的に東南アジア史セミナーを公開で開催し、内外の一流研究者の研究に、学部学生・院生がじかに接する機会を提供している。また、オランダ語史料研究会などの研究会が研究室内にあり、学生の主体的な活動の場となっている。
佐川英治准教授は、中国古代史を専門とする。北魏時代に始まる均田制を土地所有制度としてではなく兵役の反対給付として論ずる研究を皮切りに、これを記した6世紀の歴史書『魏書』の史料論や征服王朝の歴史観の問題へと研究を展開している。最近では、唐の長安に代表される東アジアの古典的都市プランの起源の解明に取り組み、一方では三国呉の木簡、北朝の石刻史料の現地調査など、黄土高原を中心に中国各地でフィールドワークをおこなっている。主な論考に、「北魏均田制の目的と展開」(『史学雑誌』110-1、2001年)、「東魏北斉革命と『魏書』の編纂」(『東洋史研究』64-1、2005年)、「遊牧と農耕の間―北魏平城の鹿苑の機能とその変遷」(『岡山大学文学部紀要』47、2007年)、「北魏洛陽城的中軸線及其空間設計試論」(『魏晋南北朝史研究』湖北教育出版社、2009年)がある。
吉澤誠一郎准教授は、19世紀末から20世紀初めの中国政治社会史を研究している。近代都市社会の形成を民衆運動、ナショナリズムなどの問題と関連づけながら描き出している。最近では、中国の沿海部と内陸部との経済格差の歴史的起源に関心を持ち、内陸中国に頻繁に足を運んでいる。主著として、『天津の近代 -清末都市における政治文化と社会統合』(名古屋大学出版会、2002年)、『愛国主義の創成 -ナショナリズムから近代中国をみる』(岩波書店、2003年)がある。

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中国 兵馬俑
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東洋史学科に進学しようとする学生諸君は、これらのスタッフによる講義や演習、先輩や同級生との討論などを通じ、歴史学には様々な方法があり、様々なものの見方があるのだ、ということに実感をもって気付いてほしい。対象地域を深く研究することは、同時に、自分のものの見方を確立してゆく過程でもある。多様な視角、多様な方法相互の対話を楽しみつつ、新鮮な感覚とたくましい意欲をもって、自分の個性的なアプローチを追求することを期待したい。
また、学部時代は、受け身の学習から抜け出し、研究上で自らの問題を見つけだすとともに、これからの長い人生についての重要な選択を迫られる大切な時期でもある。コーチ役・助言者としての教員、先輩、同級生の集まる研究室での交流は、互いに大きな刺激をもたらすであろう。研究室には、アジア各地からの留学生も少なくない。本郷への進学後は、積極的に研究室に顔を出し、新しい学生生活の拠点としてほしい。

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2007年度卒業写真
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