研究テーマの概要 /Perspective
量子多体系のための理論手法を用いて、強相関量子系に見られる未知の量子相、量子相転移、相競合を解明することが本研究室の重要な研究テーマである。
研究テーマの例
- 1. フラストレーションが生み出す、量子スピン液体や、未知の量子液体
- 2. 量子モット転移
- 3. 強相関電子系の超伝導
- 4. 量子多体系のシミュレーション手法
- 5. 量子多体系の示す非平衡現象
研究対象の舞台
電子間のクーロン相互作用の効果が顕著な、いわゆる「強相関電子系」と呼ばれる物質が自然界や人工物質の中に数多く見出される。銅酸化物やマンガン酸化物などの遷移金属化合物や、希土類化合物、有機伝導体、微細加工技術などを用いて人工的に作られた表面、界面、メソスコピック系、レーザー冷却された中性原子系などが代表的な例である。強相関電子系をはじめとして、多体効果の大きな量子多体系は、私たちの常識を超えるふるまいを示したり、驚くような現象を引き起こしたりする。平均場近似のように全体を均して考えて、ゆらぎを無視する理論からは、予想もできないような不思議なふるまいも見られる。多くの秩序相や液体相がせめぎあって競合し、それに伴って巨大なゆらぎがしばしば見られる。わずかな摂動が系の状態を大きく変えることもあり、この敏感さを利用して次世代の応用への可能性が開けている。一方、せめぎあいの結果、基底状態が単純には決まらなくなり、簡単には予想できないような量子ゆらぎの効果が顕著になる。この結果、未知の量子相や量子相転移が実現され、基礎物理学上の新たな概念が必要になることも少なくない。
本研究室では強相関電子系をはじめとする量子多体系に見られる興味深い現象を理論的に解明し、個々の現象を引き起こすメカニズムの背後にあるより普遍的な理論と概念を抽出する研究をすすめるとともに、現実物質の物性予測、新しい物理の発現の可能性を研究している。
特に私たちは既存の手法を単に適用するだけではなくて、量子多体理論の手法の新たな開発を重視している。量子多体理論は物質の究極の構造を追究する量子色力学や、原子核理論、量子化学との間に共通の課題や普遍的な見方を共有していて、新しい理論的発見が共通の物理を生み出すことがある。また強力な手法が分野を超えた波及効果を持つこともある。私たちは新しい手法を縦横に活用しながら、高温超伝導、強磁性、量子スピン液体、さらには既成の概念を超える新奇相などの生成メカニズムやモット転移などの金属絶縁体転移、磁気転移、超伝導転移などの量子相転移を追究している。さらにより広く統計力学の基本問題から、複雑系の科学、新しい物質相の解明までを含め、強相関物質を対象に階層形成の物理を研究する。
背景
物性物理学、統計物理学ではミクロな「要素」(粒子)の属性とその間の相互作用が既知であることを前提にする。中心課題は、要素が多数集まった多体系に生ずる性質と階層性を明らかにすることである。原子や電子や分子などの「要素」の統計性、質量、電荷、スピンなどの量子力学的な属性が既知で、さらにクーロン相互作用のような要素間の相互作用がわかっていたとしても、その要素が集まった多体系の示す性質は、個々の「要素」からの単純な予想とは全く異なることが多い。要素の集まったクラスターから始まって、メソスコピックなサイズの系、マクロな系に至るまでに多段階の階層構造が形成され、「要素」とは全く異なる性質を見せるようになる。「要素」間に相互作用がない場合にマクロな系の性質を予想することは簡単であり、質的に異なる階層性が発現するのは、多体相互作用の結果である。多体相互作用によって生ずる予想を超える性質の発現のプロセスとメカニズムを解明することが、本研究室の研究課題の底流を流れる興味の対象である。
特に私たちが手にする物質の性質の多くの部分は電子の挙動が決定している。このため物質の「予想を超える性質」は多くの場合、電子間あるいは電子と原子核の間のクーロン相互作用が関わっている。電子間のクーロン相互作用のような多体相互作用が本質的な役割を果たしていることが知られている現象には、磁性や超伝導の出現や、金属絶縁体転移などの相転移がある。これらの相転移とその周辺の物性の中にも従来の理論的な枠組みで基本的には理解できるものは多い。BCS理論を含む平均場理論、フェルミ液体論、変分理論、弱結合からの繰り込み群の理論、1次元系の厳密解などの理論手法は、多くの問題の解決に貢献した。例えば分数量子ホール効果の解明に果たした変分理論の役割は良く知られている。自発的対称性の破れなど、分野を超えて広がった概念も少なくない。多くの物質は実際に驚くほど単純で普遍的なふるまいを示し、20世紀に量子力学と統計力学から生まれた物性理論は大きな成功を収めた。
しかし20世紀の終わりになって、今までに知られている理論的枠組みだけでは、強い多体相互作用の効果とゆらぎや競合、その結果としての階層構造の形成を理解するのに十分ではないという理解も拡がった。今も銅酸化物での高温超伝導のメカニズムが解明されていない点にこの事情は象徴的に現れているが、それにとどまらず、強相関電子系に新たに発見される現象がある度ごとに、また強い量子多体相関効果が本質的な現象を利用しようと追究する度ごとに、いつも同じ問題が異なる形で現れている。
具体的な研究テーマ
電子相関の効果が本質的に重要な系の例としては、遷移金属化合物、有機化合物、希土類化合物、人工物質、生体物質をあげることができる。本研究室で、ここ数年、研究対象としてきたものには次のようなものがある。
- (1)金属絶縁体転移に対する電子相関の効果の理論、モット転移の理論
- (2)金属絶縁体転移近傍の金属の理論
- (3)量子スピン液体の理論
- (4)有機伝導体の理論、三重臨界点の物理
- (5)トポロジカルな量子相転移、電子相関のある系のリフシッツ転移
- (6)銅酸化物での高温超伝導の理論
- (7)f電子系の価数揺動・価数転移と超伝導
- (8)低次元量子スピン系
- (9)チタン酸化物のスピンと軌道の絡み合いと相転移
- (10)バナジウム酸化物のスピンと軌道の絡み合いと相転移
- (11)マンガン酸化物の巨大磁気抵抗のメカニズムと、電気伝導機構
- (12)エキゾチックな超伝導
- (13)ジョセフソン接合線路の巨視的量子現象
- (14)2次元電子系の電荷秩序、ウィグナー結晶転移、モット転移
上の例で述べた磁気転移、超伝導転移、金属絶縁体転移は量子力学が主役を演じており、絶対零度で、ある結合定数を制御する時に生ずる量子相転移としてあらわれることがある。量子相転移が起きる点(量子臨界点)の近くでは転移温度は低くなり、量子ゆらぎの効果は大きくなる。これは量子臨界現象として知られており、本研究室の重要な研究テーマでもある。従来の量子臨界現象の理論では単一のスケーリング則が支配し、臨界点までの距離に応じた単一の普遍性しか示さない。一方、銅酸化物のモット転移に代表的なように、多体相関の非常に強い系や、多体相関によって局在化しかけた系では、構造形成や複雑な競合、相乗、分化などの創発的現象が生じる。銅酸化物ではモット転移の浸み出し効果(proximity effect) によって、実空間および運動量空間での不均一化、構造形成、分化が実際に大きな問題となっており、超伝導メカニズムとの関連も議論されている。このような新しいタイプの量子臨界現象の理論を研究している。
新しい手法の開発
本研究室では量子力学のもとでの多体現象の解明のための理論手法を開発し、進展させることにも興味を持ち、力を注いでいる。困難を克服できる新しい理論手法を開発し、応用することを通じてはじめて、未知の多体現象の解明や新物質相の予測が進む場合は多い。方法論の開発から応用までを研究テーマとしている。
従来の手法を駆使することに加えて、以下のように、解析的および数値的な手法を最近新たに開発して、強相関効果の解明のために実用化した。
(1)経路積分繰り込み群法
この方法は今までの量子系数値計算手法の抱えていた困難を克服するために開発された。変分波動関数から出発して、系統的数値的に厳密解に近づく手法で、変分状態のバイアスがかからないこと、量子モンテカルロ法のような負符号問題の困難がないこと、密度行列繰り込み群のような格子の形状への制限がないことなどの特長がある。さらにこの手法を密度汎関数法と組み合わせて、強相関電子系の第一原理からの物性予測を可能にする法の開発に取り組み、既存の手法では定性的に誤った予測をしてしまう、多くの遷移金属酸化物の物性を正しく予測できることを示した。
(2)相関射影法
この手法は解析的な演算子展開法のひとつで、弱結合繰り込み群や近似と異なって、モット絶縁体のような強相関強結合相を導ける。また動的平均場近似の拡張の形で空間相関を取り込むことができる。得られた一粒子スペクトルは強相関系の角度分解光電子分光の結果や理論模型の量子モンテカルロ計算の結果をよく再現できるという、他の解析的手法にない特長を持っている。
(3)ガウス基底量子モンテカルロ法
密度行列をガウス分布基底で展開し、展開係数の従うフォッカープランク方程式をランジュバン方程式に変換して解く。量子数射影法の同時組み込みによって強相関電子系への応用を進めている。
(4)ダウンフォールディングを含む3段階スキームを用いた電子相関効果の大きな現実物質の物性予測
多様な物質の示す物性を第一原理から理解するためのシミュレーション手法開発の需要は大きい。このためには、物質中の電子の示す挙動をミクロなレベルから解明するための信頼性の高い計算が不可欠である。しかしながら、標準的な第一原理的電子状態シミュレーション手法では、大きな効果のある電子間のクーロン相互作用の効果が、局所密度近似などの何らかの一体近似によってしか取り入れられないという困難がある。電子間相互作用の大きな強相関量子系の物性解明を進めるために私たちは、第一原理計算-ダウンフォールディング-低エネルギーソルバーという3段階スキームのもとに研究を進めている。
また従来の手法のなかでも
- (1)量子モンテカルロ法
- (2)連続虚時間ループアルゴリズムを用いた量子モンテカルロ法
- (3)密度行列繰り込み群法
- (4)動的平均場近似
- (5)1次元で厳密な手法
などについて改良を加えて、大規模な解析を行ない、物理現象の解明を行なっている。